『生物多様性とは何か』を読んだ。

 

はじめに

 我々は普段、自然とはあまり関心がなく生きているような気がする。農作物など、人体の維持に必要不可欠なものを除き、私たちの身近な自然物について、私たちはあまりに無知ではないだろうか。例えば、春に公園を歩いていてふと視線を下げると、青色の小さな花が沢山生えていた。この植物の名称、植生、絶滅危惧種かそうでないかなど、それらを詳しく述べられる人は少ないように思われる。

実際、それは当然のことでもある。私たちの関心事は人間関係だとか、人生の未来についてだとか、よりお金を稼げる方法だとか自身の生活に基づいたアレコレであり、足元に何が咲いていようとも余り関心は無いのが普通である。花の種類を知っていたからといって何ができるわけでもない。それなら、自分の身の回りに目を向けた方が有意義であると考えるのも当たり前だろう。

しかし、私たちの生活を成り立たせる上で自然という存在は非常に大きい。動植物がいなければたんぱく質を摂取するのは難しいし、酸素も無限にあるというわけでは決してない。自然が失われたことによって起こる災害や二次被害も多くある。

私たちがより良い生活をしていくうえで、自然――世界全体のでも、身近ものでも――が今どのような状態にあるのかを理解することは、これからの未来を見据える際に重要なことになってくると私は考える。

 

本著書は、生物多様性とはどういうことかについて論じるようなタイトルではあるが、内容自体は生物多様性の維持やその取り組み、ホットスポットと呼ばれる生物多様性がより顕著な地域で行われているビジネスを通した自然保護の運動など、やや経済寄りの視点になっている。

また、2010年に書かれたものであるので、データが少々古いこともあるかもしれないが、ご了承願いたい。今回は要約しながら考察していきたいと思う。

 

1.自然がもたらす様々な利益

 人の暮らしは自然の上で成り立っている。企業に勤める方々は社会の中で生活をしているため、実感が薄れている人もいるだろうが、農業や漁業をされている方はよく理解されるはずだ。

 例えば鳥類には、作物に群がる昆虫を食べたり、花の受粉の媒介になる種類が多くいる。それらがいなくなってしまうと、環境に大きな変化が起きてしまう。

著書の中で紹介されていた例を挙げてみよう。それによると、2000年にインドの国立公園でハゲワシの個体数が激減する事件が起こった。それを調査したところ、動物性医薬品「ジクロフェナク」が使われた家畜の死体をハゲワシが食べ、その結果、内臓障害を起こして死亡していたことが明らかになったという。ハゲワシの減少はインドや周辺国でも見られ、十年の間に95%以上にものぼるといわれる。

 ハゲワシが減少したことで何が起こったか。本来ならハゲワシが処理してくれるはずの生物の死体がそのまま放置され、それらを餌にする野犬やネズミが急激に増えてしまったそうだ。

このように、一生物がその生態系の中で担う役割は大きい。鳥類だけでなくとも、昆虫のような小さなものでも、いなくなってしまうと大きな影響を及ぼす恐れがある。

昆虫の例で身近なものはミツバチだろう。ミツバチは私たちに美味しいハチミツをもたらす。ハチミツを作るためには沢山のミツバチが必要で、巣をつくるためには住処の材料となる木が必要だ。ハチミツの材料は花の蜜であるため、ミツバチの周りに沢山の花が無ければいけない。どれか一つでも欠けると、ハチミツは充分に作れなくなる。ミツバチがいなくなるとハチミツは二度と家庭に提供されなくなる。

また昆虫は、植物の受粉に重要な役割を担っている。ある昆虫でないと受粉が起こらない植物も珍しくない。

これらのように、生態系が人間にもたらしてくれる恵みを、科学者は「生態系サービス」と名付けている。このサービスは「供給サービス」「調整サービス」「基盤サービス」「文化的サービス」に分かれて整理されている。

「生態系サービス」は人間の福利や精神的活動に大きな影響を与えており、経済的にも非常に重要であるという。大規模なダムをつくることと自然を利用した天然ダムを維持する事、どちらが経済的に有益かという話である。その話の中にはマングローブや干潟も、高潮防止に役立つ働きや汚染処理の関係で評価されている。この「生態系サービス」を経済的に評価することは、生態系を守る上、事業開発をする上で重要なファクターになると述べられている。そして、事業政策決定者は長期的な視野を持って取り組んでほしいと筆者は述べている。

つまり、この「生態系サービス」を積極的に考慮して事業に取り組もう!というのが著書の第一章の非常に雑なまとめになる。

 

f:id:savannabatake13:20190521003322g:plain

生態系サービスと福利への貢献を表した図 出典:文部科学省

   ↑もしかして、股引きになる?

 

さて、スパンとコストをダム建設で考えると、ダムは短期的な時間で利益を得られる代わりにコストが高い。マングローブなどの天然ダムであると、長期的に時間がかかるが、コストは抑えられる。このように見た場合、時間と利益のどちらを取るのかという問題のように見える。だが、実際にはダム建設を行うと周囲の生態系を変化させることがあるし、マングローブを育てる際に自然災害で突然に枯れてしまうということもあり得るので話は単純ではない。

これらを鑑みた際、事業側はダムを作ったほうが利益になると考える者は多いように私は感じられる。生態系を破壊して得られる短期的利益は非常に大きい。人間は自然環境より長くは生きられないのだから、自分が生きているうちに利益を享受したいと考えるのは合理的と評価が下されることも想像に難くない。

しかし、生態系が一度破壊されると、それを立て直すのには非常なコストと時間を要する。ダムを作ったのは良いが、そのせいで水産資源や自然に影響を与えてしまい、それらを補填したら結果的にマイナスの利益になってしまったら事業的には意味がないのではないか。政策者はぜひとも生態系を考慮した政策をしてほしいところである。

 

 

2絶滅危惧種について

 皆さんは絶滅危惧種を知っているだろうか。

 比較的身近な動物を挙げると、二ホンウナギ(絶滅危惧IB類)、クロサイ(絶滅危惧種IA類)、キリン(絶滅危惧種Ⅱ類)などがリストに入れられている。

 世界の絶滅危惧種をまとめたリストの中で、最も権威のあるものが国際自然保護連合(IUCN)の評価である。「種の保存委員会」というIUCNの中に在る研究チームが分類ごとのグループに分かれて調査を行い、それら調査情報をもとに「レッドリスト」と呼ばれるリストが公表される。これが一般的に絶滅危惧種かどうかを決める表になる。

 レッドリストは生物種を八つのカテゴリーに分けて分類している。

 

f:id:savannabatake13:20190521002641p:plain

レッドリスト類表 出典:ナショナルジオグラフィック

 

 

2008年に発表されたレッドリストで評価された動植物種は4万4838種であり、過去最多だという。現在確認されている動植物種は全体で180万種だというのでこれでも少ないように感じられる。

 日本の場合だとどのようになるだろうか。日本国内に9万種以上の動植物が存在していると言われ、未分類すべてを加えると、30万種を超えると推定されている。

 日本では、1991年から環境庁レッドデータブック『日本の絶滅のおそれのある野生生物』を公表していて、定期的に更新されている。

 2007年のレッドリストの公表では、評価対象が動物約3万6700種、植物約3万2300種で絶滅の恐れがある種は動物1002種、植物2153種であった。

 その中でも特に生息状況が悪化していたのは淡水魚で、外来種の侵入や生息地の減少が絶滅に拍車をかけているという。また日本においては、かつてはよく見られた生物が減少傾向にあることや海洋生物に関する調査が不十分であることが問題になっている。

 日本は生物多様性が豊かな地域だが、それは危機に瀕しているといわれる。

 一つ目の危機は人間が引き起こす原因。二つ目は里山など、以前人が管理していた土地が人口減少による過疎化で管理が生き届かなくなった結果、生息状況に変化がみられていること。三つ目は外来種や化学物質等による生態系のかく乱である。また、近縁種が交雑することによる遺伝子汚染も問題として取り上げられている。

 日本においても世界においても、生態系サービスの現状は厳しい。生態系サービスを調査する団体によると、生態系サービスの質が向上した項目は数少なかったという。供給サービスの食品項目の要作物、家畜、養殖等、ヒトの暮らしに関する項目は向上していたが、調整サービスの大気質の調整や水の浄化、自然災害の調整や文化的サービスの項目は減少が多い。

 

 これらの問題が私たちの意識に上がることは少ない。

 日本ではクロマグロやウナギを食べる文化がある。それは一概に悪いとは言えない。食文化は各国の特色を顕著に示すものであるし、食すことでその生物の知名度は上がる。知名度が上がるということは、その植物をより身近に感じられるため、それら危機に敏感になりやすいという点で重要である。また、私たちヒトも生物なので、エネルギーと各種栄養を摂取しないと生きてはいけない。

 では何が問題なのか。私個人の意見をいうとやはり廃棄が一番の問題なのではないだろうか。毎日大量の食品が製造され、食べられずに捨てられていく。誰のエネルギーにもならずにただ捨てられていく。非常にもったいない。売り上げが落ちるため、廃棄を配るという訳にいかない。非常にもったいない。もったいない。さらに悪いことに、というかこれらの問題を解決するには我々ではどうにもならないのが現状だ。不買運動が私たちにできる一般的な抵抗運動だが、不買している間は廃棄が増える。ジレンマのような、何ともままならない状況である。

 あまり社会的なことを言いたくはないが、このままではドードーの再来になるのではと感じられる。ドードーはかつてモーリシャス諸島に存在していた鳥類で、1681年に絶滅したとされる。空も飛べず、人を恐れなかったという彼らは入植者の格好の餌食になった。また、入植者が持ち込んだ犬や豚などにより数が激減。森林開発などの影響で存在確認から80年と少しの期間で絶滅した。

 私たちは400年前から全く変わっていないのだろうか。今後に期待したいが、楽観的にはいられないのが現状だ。

 もう一回言っておくが、食べることは悪いこととは言えないというのが私の考えだ。実際、ウナギは美味しい。この味を後世に伝えたいほどおいしい。

 しかし、保全のために禁漁をするなら英断だと称賛するし、保全できるならしたほうが良い。また、この問題には乱獲が絡んでくるのだが、それは次節で触れることにする。

 

 

3.世界の保護活動

 中南米に位置するベリーズでは、1970年後半の輸出拡大政策によってシーフードの乱獲が絶えなかったという。しかし、地元の人々が結託し環境保護団体を設立した。それはジンベイザメを守る海洋保護区で、ジンベイザメの産卵期間には一部の地元民以外の漁業が禁止され、その間は団体のメンバーが密漁を監視して警戒にあたっているという。また、エコツーリズム産業に力を入れることで、自然に負担をかけない産業を目指している。

 マタ・アトランティカと呼ばれる大西洋岸の森は、元々カカオの原産地だったが1989年におこったカビの病気(ウィッチブルーム病)により甚大な被害が発生した。しかし、「カブルカ」と呼ばれるカカオを木陰で育てる伝統手法で、ウィッチブルーム病に耐性のある種を栽培して行くことに成功したという。その農家はそれを地元の特産品として売り出している。

 この「カブルカ」のように、元々ある森林の中で作物を栽培させる方法を「アグロフォレストリー(農林複合経営)」という。この方法が適している作物は掲載されているものでも、キノコ、胡椒、バニラ、ナッツ、松の実、コルク、ゴムなど数多い。

 このような環境に寄り添う事業形態の他にも、国連等が中心に進めている森林保全と温暖化防止対策に「REDD」というプログラムがある。簡潔にいうと、二酸化炭素取引で排出枠の売買に関するプログラムだ。これは二酸化炭素排出量が多い国が、少ない国の排出枠を買うことで、少ない国に利益が得られるという取り組みである。こちらで説明すると長くなるかつ取りこぼす可能性が有るので詳しくは記載しないが、大変ユニークな取り組みのため興味のある人は是非検索して調べてみてほしい。

 そのほかでも、アメリカでは生態系を考慮する様々な取り組みが生まれている。生態系の再評価によって、事業の取り組みが再検討された例もあり、社会でも生態系が考慮され始めていることがわかる。

 本著書において、生態系の取り組みにおける日本の評価は厳しいものとなっている。温暖化や生態系保全に対する政府の規制やその取り組みが不十分という指摘がなされ、海外の企業開発投資などで環境を破壊している間接的な要因になることもあるという。また日本では、漁獲量の減少を懸念して、海洋保護区の設立に反対するものが多いのも重要なファクターだ。

 また、どこの国でも問題になっているのが動植物の違法な捕獲や行き過ぎた乱獲である。これは違法に捕獲する国が自国だけとは限らないため、取り締まるのが非常に難しいように感じられる。一つの国で禁漁をしたとしても他の国で漁が続けられていたのなら、禁漁をする側もやるせないし禁漁の効果も薄くなってしまう。国際間で、なおかつ民間の問題だとすると規制の手が回らないのが現状といえる。

野生へ帰化させ繁殖に成功した絶滅危惧種が、密漁により再び危機に瀕しているのも問題である。絶滅危惧種には希少価値や経済価値が高いモノが多いため、密漁をする者は後を絶たない。比較的簡単に高いお金が手に入るという理由も、密漁をする者が減らない理由であろう。

これらを防ぐには、国の政策や保全団体が取り締まりを強化するくらいしか手が無いように思われる。民間には取り締まる手立てがないし、権限もないからだ。この問題を放置しておくと、種の絶滅はもとよりその地の生態系の破壊にまでつながる恐れがある。

しかし、密漁者の数は留まるところを知らないのが現状だ。

 

 これらの問題を解消させ、生物多様性や生態系を守っていくにはどうしたらよいのだろうか。保護区を作ることや自然にやさしい事業を取り組むことは有効だ。生態系を経済的目線からとらえ、それらに価値を付与することも非常に重要だと私は考える。

しかし、個々人にまで考えるとどうだろうか。私一人が何をやったところで意味はない、無駄だからやらない、という意見が多いように感じられる。確かに一人一人が及ぼす結果は微々たるものだ。だがそれでも、行動したほうが変化は生じる。小銭貯金のように、それらを積み重ねていくと大きな予算になる。無駄だと考えている人たちには、是非長期的視野を持って、再考してみてほしい。一歩ずつ理解を深めていくことは決して無駄ではないはずだ。

 

まとめ

 本著書は環境保護の観点から生物多様性について論じられており、その取り組みには自治体レベルから国際的な範囲まで様々であり、その規模は年々広がっているということが述べられてきた。生態系保護は未だに難点が多くあり、一筋縄ではいかない問題も多い。しかし、生物多様性は世界にとっての重要な資産であり、それらを維持することは人間とっても非常に有用であるため、放置できる問題ではない。というのが本著書を読んだ感想及びまとめになるだろう。今回は著書をかいつまんで要約するという目的のため、ホットスポットの概念やより具体的な政策等にふれることはしなかった。もし、このレポートを読み興味を持った人は是非、この著書を読んでみてほしい。

 なお、私は生物学者でもなんでもない一般大学生であるため、間違っている知識もあるかもしれない。そのような個所があった場合、より新しい取り組みが行われている事業があった場合は是非教えていただきたい。良質な知識が増えるのは私の本望である。

 

参考文献

 井田徹治2010『生物多様性とは何か』岩波書店

 

 

 

 

今回これを書いていて、文体やテーマが堅苦しすぎたように感じたので、次はもっとほのぼのとした内容の何か(感想でも小説でも)を書いていこうと思う。メリハリとかが大事なんじゃないか、多分。